Return on the Day
1 その薄暗い部屋の中は、男たちの吐く煙と、アルコールと、酸っぱいような女の香りで満たされていた。 時たま聞こえてくる喧騒とそれをぬって届く歓喜の声が、つけているネクタイの違いよりも明確にここに居る男たちの種類をはっきりと示していた。あちこちにぼんやりとモニターの明かりが灯る中で、男たちは酒を飲み、表面上にこやかに談笑し、企みを巡らし、親しげに握手を交わし、そしてその相手をどうやって陥れてやろうかと画策していた。 裸体に薄いベール地の服をつけた女たちがテーブルを忙しげに行き来し、捧げたトレイに恐ろしいほどの大金を受け取って去っていく。 彼らは平凡な一人の男が生まれてから死ぬまでに一度も見ることは無いような額を惜しげなく吐き出しながら、女の腰を抱き、モニターの中にだけ興奮した視線を送る。 これをサバトだと説明しても、異を唱える人間は居ないかもしれない。 その空間には、それぐらいの異常さと非現実性が同居していた。 また、どこかから怒声が上がった。 何語だかも判別できないほど訛った英語で、男がモニターに向かって口汚く罵っている。 それを興味なさそうに横目で見ると、ルパンはまた手元のモニターに視線を戻した。 そこには、他のテーブルのそれと同じように、どこかの街角が鮮明に映し出されている。 石畳の続く道。少しすすけたような壁。 今にも小さな子供が飛び出してきそうな風情のわりに、どこか古ぼけた印象の残る町。 そこが、こことは違う現実の舞台であり、またここ同じもうひとつの非現実の世界でもあった。 次元大介は、頬の脇を掠めていった銃弾をさして気にもせずに、ゆったりと石畳の道を歩いていた。時折、何かを探すようにあたりに目を配っていた。 いでたちはこれでもか・と言わんばかりのミリタリールック。普段の彼を知っている人間にはおおよそ次元その人だとは思えないし、もちろん彼を知らない人をしてはどこぞの軍人崩れにしか見えなかった。 いつもの中折れ帽の替わりは色あせたグリーンベレー。履き潰した革靴の変わりはショートブーツ。ただ、咥えっぱなしのタバコはペルメルのままだったし、片手にぶら下げた拳銃もいつものM19マグナムだった。 幾つかの路地を注意深く曲がり、幾つかの坂を注意深く下る。 半日ほど前には絶えず聞こえてきていた銃声も今ではさっぱり寡黙になってきていて、それが自信過剰な男たちがそうでない男たちによって次々とふるいにかけられたのだということをはっきりと示していた。 壁には銃弾の跡。道には爆薬で焦げた跡。血のにおいが希薄なのが、不思議なくらいだった。 やがて、次元は唐突に日陰に入ると壁に背を預けた。 あたりを更に念入りに見回した後で、おもむろにこめかみの辺りを探り、短い針金のようなものを取り出した。 目立たないように口元に近づけて、ささやく。 ――ルパン。ルパン。聞いてるんだろ? 返事くらいしろよ。 どこかで、久方ぶりの爆音が聞こえた。 始まりは、一月ほど前にさかのぼる。 例によって仕事も終わって、うだうだと夏の暑い盛りをアジトで消費していたころのことだった。 三日ほど前からとんとアジトにいつかずに町に行ったっきりだったルパンが帰ってくるなり言った。 「お前、サバイバルの経験はあるか?」 呼ばれて、次元は気だるげにソファに半身を起こす。 修行と称しては出かけてばかりの五右ヱ門とは違って、毎日をオンザロック漬けで過ごしていた次元は、その日も同じように朝からちびりちびりとやっていたのだが、それでも酔った様子など欠片も見せずに、皮肉な視線をつくった。 「そいつは、オレに向かって訊いてるんだよな、ルパン?」 「ん〜…ま、訊くだけ無駄な気もしてたんだけどな」 「わかってるじゃねぇか。だったら訊くなよ」 ソファに座りなおして、握っていたグラスを机に置く。 ルパンも、その正面に腰掛ける。 かんかん照りの日差しは窓からごしでも暑いくらいで、おまけにアジトにはクーラーなんて気の効いたものも無くて、部屋中湿気と熱気がこもっていてまるで蒸し風呂のようだった。 暑い暑い・と呻いてジャケットを脱ぐと、ルパンはいつもの癖で膝のあたりで両手を組む。 そのまま、少し。 続きを口の中でもてあそんでいる。 今に始まったことではないが、ルパンの悪い所は情報を独占しようとするところにあると、時々次元は思っていた。知る必要の無いことならそれでも一向にかまわないが、そうやってこちらへ知らされなかったことが元で何度煮え湯を飲まされたか…考えるのも億劫だった。 「あのな、ルパン。 分かってることは、全部話せ。ひとつ残らず・だ」 「べっつに、いつも隠してなんかいないでしょー?」 「うそつけ。お前のそういう態度は聞き飽きた。 いいか。ひとつでも黙っててみろ? オレは金輪際手を貸さないからな」 ルパンは、それは困るな・とか何とかつぶやくと、おもむろに飲みさしのグラスを手に取って一気にあおった。氷が解けて薄くなった酒を、ごくり・とのどの奥に押しやる。咽越しの応えなさに一瞬顔をしかめ、そうしてから話し始めた内容は、つまりは、こういうことだった。 裏世界の有名なギャングの幹部に、ドン・マニーフィコという男が居た。 イタリアの片田舎から出てきたこの男は、生来の気風の良さとイタリアンマフィアにしても珍しいぐらいに義理堅い性格とで、たちまちに世界屈指のシンジケートのボスになった。 裏に一歩でも足を踏み入れた人間は地中海世界を右に行くにも左に行くにもこの男の許可が無ければいけない・というまでに権力の全盛に居たのが丁度3年前。 けれど何があったのか、彼が孫の誕生日を盛大に開いた・という話を境にしてぱったりと声を聞かなくなった。 人々は噂しあった。 一人娘の懇願で足を洗ったんだとか、凄腕の暗殺者に叫ぶ暇も無く殺されたとか、いや実は中国に渡って上海マフィアの懐柔をしているだとか。はては、アメリカで大統領の椅子を狙っているなんてのまで。 けれど、月日がたつにつれてだんだんとそんな声も聞かなくなっていった。 裏の世界は日々変化を遂げていて、一人大物が居なくなってもまた別の男がそれに取って代わるという仕組みがこの場合も円滑に働いていたのだ。けれど、ルパンは行く町行く町でしつこくその消息を聞いて回っていた。 狙いはただ一つ。その最後の晩に男が孫に贈ったという世界一のピンクダイヤ。それを、手に入れたかったからだった。彼の調べでは、ダイヤはもっと大きな宝を手に入れるための鍵になっているはずだった。 ルパンは、今日も街に出て場末の酒場からストリートキッズの溜まり場まで、根気よく足を伸ばして情報を求めた。どんな些細なことでもいい。あれだけのダイヤだ、欠片ほどの噂も聞けないなんてことは無いと思った。 「なんだ、あんたも知ってたのか」 さして収穫も無いまま繰り返していたルパンの問いに、たった一人、そう言った男が居た。だったら用はねぇよ・なんて情報屋なのだろうか、安い酒の臭いをさせてきびすを返す。それを捕まえて、ルパンは訊いた。 何だ? 何か、知ってるのかじーさん。なぁ、旨い酒をおごるから、教えてくれよ―― 「で、聞いてたのがサバイバル――ストリートバトルの話だったってワケ」 「なるほどね」 次元はグラスに新しい酒を注いだ。とたんに、グラスが汗をかく。 「その音信不通だったボスが突然復帰してきて、酔狂にも街一つ使ってバトルロワイヤル…殺し合いをして・だ。優勝者には賞金とダイヤだと? 確かに、少々出来すぎた話ではあるな」 「だろ?」 さも当然のように次元からグラスを受け取ると、ルパンはそれに口をつける。相変わらず、濃い酒飲んでんなぁ・なんて軽口をたたいて。 「で? お前、オレにそれに出ろってのか」 「ビンゴー。イー勘してるぜ、次元」 「はっ。冗談じゃない。オレはごめんだ。テメェが自分で出りゃぁいいじゃねぇか」 そうすげも無く言うと、次元はルパンの手からグラスを引ったくり、口をつける。なんだ。全然濃くなんてねぇじゃねぇか。 「それが、そーもいかなくてよ。 …どーやら、このイベント、とんでもねぇ裏がありそうでナ」 「へん、よく聞くことじゃねぇか。 大方、イベントに乗じて賭けでもやってんだろ? ああいう手合いが考えそうなこった」 「それも、そーなんだっけども…なんかこー、嫌ぁな予感がするんだよなぁ…」 そう言って眉間をしかめたルパンの顔は、いつもの気のせいかもしれないんだけど・と言っていたが、結局、こういうことは五右ヱ門には頼めないだろう? それとも、お前が裏に回って立ち回るか?・なんていう言葉に丸め込まれた形で次元が本戦に出場することになってしまったのだった。 それが、一月ほど前の話。 『おい、ルパン。返事っくらいさっさとしろ』 目立たないようにつけた通信機からの、ノイズ交じりの声。 半地下に潜ってるんだから仕方ないか・と嘆息して、聞こえよくするために心持ルパンは上を向いたりする。動作を怪しまれないように、そっと。 「あー、聞いてるよ、次元。 それよか、お前、すげーぞぉ。な、さっき、黒いスーツの男とやったか?」 『あぁ、でも、殺しちゃいない。利き腕潰しただけだ』 「うひょー。やっぱな。そいつな、どっかの組織の雇った殺し屋だったみてーだ。 もー、こっちは上に下にの大騒ぎだぜ。おかげでもー、お前にそいつの掛け金どんどんながれこんできて、がっぽがっぽの、俺様、大金持ちになっちまいそうでたぁいへ…」 『そんなこったぁどーでもいいんだよ!! それより、だ。連絡はついたのか』 瞬間、次元の声が凛と張った。 ルパンは反射的に身を少しかがめて、モニターの前に顔を近づけた。 画面の中の次元はいかにもイライラと気難しそうに、煙草の先を噛んでいる。 隣で馬鹿騒ぎを繰り返している男たちが、何度目かこれみよがしな額を掛け金に上乗せしていた。自分の財布には底なんて無いと言わんばかりの顔で笑う。通信機のノイズにその声がかぶって、お互いの声は更に聞き取りにくくなっていた。 潜めた声で、けれどはっきりと届くように言う。 「…まだだ。 昨日から何度も電波は送ってるんだが…反応は返ってない。発信機の精度が悪いから確かなことは言えねぇが…お前の居るところの、半径4キロ以内で点滅を繰り返してる」 瞬間、画面の中の次元はとうとう咥えた煙草を噛み切っていた。 悪態をつく声が返ってくる。 ルパンの台詞は、つまり、がこの馬鹿らしいイベントに加わっていないとは言い切れない・ということを示していた。いくら、そんじょそこらの男じゃ束になってもかなわない腕をしているといったって、ここは、生きるか死ぬか、二者択一の世界。 …そんなところに、二度と彼女を戻したくはなかった。 しばらくして、絞るような声で次元は言った。 『頼む、ルパン。探してくれ。 何かあってからじゃ、遅いんだ』 わかってる・とルパンは言った。安心しろ・とも。 それでも次元が気を抜かないのがわかって、ルパンは唐突に口調を変えた。 骨抜きだなぁ、お前も。 「てめぇの恋しい女のことばっか考えてて、流れ弾にでも当たっちまったらどーすんのよ? 俺、やだぜ〜。ちゃんの泣き顔なんて、あー、見たくねぇっ」 『なっ… てめぇ、冗談も休み休み言え! お前にあいつの泣き顔なんて見せて、たまるかってんだよ!!』 画面越しに、次元が気色を変えるのが分かった。片手にぶら下げたままのマグナムを振り回して、悪態をついている。 押さえ気味の声がいきよいよく通信機から漏れてくる。 そもそも、不二子にかまけて何度も死に掛けてやがるのは、どこのどいつだ! 「ヌホホホホ。んまぁ、いーじゃねぇの、次元。 こっちは、任せとけ。すーぐに、無事な声を聞かせてやっからよ。 それよか、オメー、死ぬんじゃねぇぞ?」 『けっ。努力はしてみるがね』 言い捨てて、通信を切った。 ――大体、くたばっちまうなんて欠片も考えてねぇからオレを本戦に出したんだろ? のどまで出掛かっていた声は、あんまり癪なので言ってやらなかった。 「エリオ」 呼ばれて、少年は恐る恐る後ろを振り返った。 少年が初めて会ったときに“ジャック”と名乗った男が、神経質そうな顔で立っていた。 黒スーツにサングラスという暗闇の保護色のような格好で、それは部屋にいて自分を取り囲んでいる男たちがみんなそうなのであったが、一様に隠していても分かる無機的な視線で自分を見下ろしていた。 背筋に何か冷たいものを感じて、反射的に片手を強く握る。 「エリオ。この後の手順はわかってらっしゃいますか?」 不気味なほどに底冷えした声。 少年はまだ15にもなっていなかったが、一目でそれとわかる聡明な瞳を伏せて、静かな声で答えた。 「大丈夫。全部分かってる。それに、約束は守るよ」 語尾に、ひときわ力を込めた。 結構です・とジャックは言った。それでこそ、偉大なるドンのお血筋だ。 「あのようなことで命を落とされるなんて…まったく、惜しいことでした」 感慨深げな声。それでいて、命の重さなど羽一枚より重いとは考えてなどいない声。 やめてくれ・とエリオは思った。 そうなるように仕向けたのはあんたらじゃないか・と。 彼は周りの大人たちが考えているほど子供でもなかったし、また同じくして単純でもなかった。 彼は、忘れては居なかった。忘れられるはずがなかった。 その日は、彼の誕生日で――忘れられない、10回目のバースデーで。 普段はめったなことでは会えない母親の大嫌いな、彼の大好きな祖父が、パーティーをするからと家に招いてくれたのだった。 見たこともないような車に迎えられて、高鳴る胸を押さえて、一番いい洋服を着てそれに乗った。美しいローマの七つの丘の間を抜けて、緑の中にある祖父の家に向かった。 祖父の家は、町で見たどの家よりも明るく飾られていた。楽しげな音楽が流れてきていた。 母親がこわばる手で扉を開けた。覚えているとおりに階段を上り、覚えているとおりに廊下を渡り。 いいこと、おじいちゃんにお顔を見せたらすぐに帰るんですよ。 そう言って、寝室の扉を開けた。 祖父は、明るい屋敷の中で、場違いなほど暗い部屋の、寝台の上に寝ていた。 おじいちゃん、エリオだよ、遊びに来たんだ! 名前を呼んで駆け出そうとしたその時、母親が彼の腕をつかんだ。思わず見上げると、いつも美しい母の顔が青白く冴え、大きいつぶらな瞳が見開かれていた。 行っては駄目…駄目よ、エリオ。 震える声。 少年は、忘れてはいなかった。 一目でそれとわかるほどに青白くさえた、死人となった祖父の顔。 恐ろしげに見開かれた瞳を。 「大丈夫」 もう一度、口にした。 思い出したせいで、声に出しておかないと泣いてしまいそうだった。 「言われたことはみんな、きちっとやってみせるよ」 「なら、我々としても満足です。エリオ」 ジャックが片手を振ると、周りにいた男たちが一斉に目線を交わした。 靴音をそろえて、部屋を出て行く。 その最後尾、部屋の入り口のところでジャックが振り返る。 「そろそろ、残りの人間が10人を切りました。 …トーナメントに移行します。そうなると、後は早いですから…急いで、仕度をなさってください」 彼は言って、返事を待たずに扉を閉めた。 人の命を換金するのに慣れてしまった男たちは、スピーカーから唐突に流れたトーナメントに移行する・との声に、怒声と歓声とで応えた。 ルパンが隣の席をちらり・と見やると、あの五月蝿い男は賭け続けた選手がついさっき負けてしまったばかりのようで、横に座った女の腰を抱きながらあらたな穴馬を探していた。 モニター脇の町の俯瞰図には生者を表す点がところどころに灯っている。 町のところどころに備え付けられたスピーカーからの音声が、一番近くにいる選手を二人づつ引き合わせていっていた。一つ、早々に光が消える。また一つ、割合近距離にいた選手同士がぶつかっている。 ルパンは、次元をあらわす点を穴が開くほどに凝視していた。 そして目立たないように腕時計に偽装しておいたもう一つの液晶には、ゆっくりとした動作で近づく2つの点と、その二つからは若干離れたところで点滅を繰り返す1つの点が映っていた。 ルパンは、唇をなめた。 画面の中で次元は、丁度、幾つめかの角を曲がろうとしていた。 角を曲がると、スピーカーはそこで止まるようにと指示をした。 逆らっても意味がないので、おとなしく立ち止まる。 無意識に、右手に握ったマグナムの弾倉を確かめる。 1つ、2つ…6つすべてに、弾が込めてある。体の脇に滑らせて、シリンダーを回した。 道は、両側に堀のような壁が続いている。 一定時間が経過した後でトーナメントに移るというのは、ルパンに聞いていた。 そうか、いよいよか・と思う。こうなればぶっ続けでやらないとならない以上、体力的にはしんどいが、終わりは近いということだ。 あんな言い合いをした後では、何としても負けるわけにはいかなかった。 やがて、長いような短いような時間が過ぎた後で、道の向こうから足音の反響が届く。 意外と軽い。女のような足音。 なんだ、楽そうだな・と思って。女が相手か…たまんねぇな・と思って。 すぐに、嫌な予感に顔中の筋肉がこわばるのが分かった。 通りの向こうから、歩みを緩めず相手は近づいてくる。 ぼうっとうかぶシルエット。 やめてくれ。違ってくれ。まさか、そんなはずないだろう… 長い髪。細い肩。着ているのは…ズボンじゃない。見覚えのある――白い、シャツ。 やがて、目の前に鮮やかな影が浮かぶ。 ――… 思わず漏れた呟きに、女は、片手にナイフをぶら下げて、微笑を返した。 Back photograph by Grey.thanks!
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