……」
 見間違いか人違いであればいいとぼんやり考えながら、その名を呼んだ。
 女は呼ばれた名を否定せず、ただ微笑んだ。
 本人だと思うのにはそれだけで十分だ。
「何でお前がこんなとこに……」
 とにかく話をしたかった。
 次元自身、ルパンから頼まれなければ決して参加する気にならないようなイベントだ。次元以上に人を殺すことを恐れている元殺し屋の恋人が、自分から快く参加を決めたはずがなかった。
 何か、理由があるはずだった。
 その理由の内容によっては自分が代わりにやってやることも出来る。そうなれば彼女がこの場にいなければいけない理由は消えうせる。
 闘う理由も。
 だが、は次元の言葉に何かを返そうとはしなかった。
 代わりに手に持ったナイフを構える。
……!」
 悲痛な響きをした次元の声を合図にしてが地を蹴った。
「く……っ」
 繰り出されたナイフをマグナムで何とか受け止め、弾き返す。
 無意識の内に手加減していたらしい。次元の力に負けて体勢を崩すこともなく、またがナイフを繰り出してきた。
「待ってくれ……! 話を……!」
 次元の叫んだ声はにとって何の効果もないものであったらしい。は尚もナイフを繰り出してくる。避け切れなかった髪が僅かに切られ散っていった。
 紙一重でその刃を避けながら、次元がの表情を伺う。
 が退くつもりはないのはその目を見てすぐにわかった。
 まっすぐに次元を見据えてくる目に迷いはないし、顔から笑みが消えていた。
 命を失う可能性のある場所は狙わず、しかし確実に次元の手や足を止めるために場所を選んでナイフを繰り出してくる。
 一方の次元は手にしているマグナムを構えることさえ出来ずにいた。
 に話をする気がないのであれば力ずくでを止めるしかない。だが、銃を使ってを止めるということはが確実に傷を負う。死なせるまではいかないにしても、自分の手での体に傷をつけたくはない。何があっても絶対に。
 結局、次元はマグナムをいつも通りに背中へとしまいこむ。そうすることで自分が銃を使う気がないのだということをに示し、が考え直してくれはしないかと思った。
 だが、の手はそれでも止まらない。
 壁へ壁へと次元を追い込むようにナイフを操り続ける。
 のそんな攻撃から逃げながら、次元は迷っていた。
 どうすればを止められるかなど、わかりきっている。
 その踏ん切りがつかないのは、の目的がわからないからだ。
 金に困ることはない。余計な金を欲しがる人間でも、ダイヤに目がくらむ人間でもない。
 止めてもいいのか。
 何もが語らないのは聞かれたくないからではないのか。そして、止められたくないからではないのか。
 怪我をさせて止めるのはたやすい。ならば動きの癖も間の取り方もわかる。行動に移せばすぐにでも成果は得られるだろう。
 ただ、次元に後悔しない自信がないだけだ。
 を傷つけてまで勝たなければならない理由も次元にはない。
 ルパンのことだ。次元が優勝しなくともピンクダイヤを手に入れる方法を用意しているに決まっている。
 がどうしても退く気がない以上、傷つけないためには自分が退くしかない。
、俺は――」
 次元の言葉を遮るようにナイフの刃が閃いた。左肩を狙うそれをすんでのところで避け、の背後へと次元が回ろうとする。
 攻撃を避けられたもそのまま背後を取らせはしない。体を反転させ体勢を整える。
 長い髪が次元の鼻先を掠めていった。
「――!」
 目を見開いた次元の動きが一瞬止まった。
 髪から、そしてすれ違った時に感じたの姿をした女の香りは、確かに以前がつけていた香水の香りだ。
 しかし今、はその香水をつけていない。成分の関係か、それともの体質が変化したのか、がその香水に酔うようになってしまったのだ。
 この女はではない。
 そう確信した次元が、すぐさま背中のマグナムに手を伸ばす。
「わざとその格好をしたんなら後悔するぜ……?」
 まんまと騙された自分にも腹が立つが、それよりもの姿をして自分を騙した女への怒りの方が強かった。怒鳴りたいのを押さえて低く言い放ち、一旦女から離れる。
 でないなら容赦をする気は無い。
 女が自分から離れた次元を見て軽く目を見開いた後、が良くそうするように目を細めて微笑った。
 言ったと同時に次元の懐に女が飛び込んでいく。それをさせまいと次元もマグナムを女に向けるが、女は止まることなく次元に向かっていく。
「撃てないわよ。アナタは」
 その声で次元は女の正体を知る。だが、ではないのだとわかってはいても、手が迷った。偽者であっても、の顔が苦痛に歪むのを体が勝手に拒否してしまう。
 一瞬の次元の隙を見逃すことなく女が次元の懐に入る。そして背中に隠し持っていたサブマシンガンの銃口を次元の腹へと押し付けた。
「本当に惚れてんのねぇ」
 クスクスと笑いながら女が言うのを聞きながら次元が顔をしかめる。
「わかっててその顔を選んだんだろうが」
「だって、ねぇ……?」
 の変装を解こうとしないままの女が、とは全く違う微笑み方で次元を見た。
「ピンクダイヤに5000万ドルよ? 参加しない手はないし、勝つために一番確実な方法を取るのも当然でしょ?」
 言いながら女は自らの顔に手をかける。微妙に湿った音を立てながら剥がされた変装用マスクの下には、次元も良く知った峰不二子の顔があった。
「負けてくれるわよね? 次元?」
 次元の腹にサブマシンガンを押し付けながら不二子がまた笑う。
 本気でやりあうのも馬鹿らしい、と次元が両手を上げた。
「勝手にしな。俺は降りるぜ」
 サブマシンガンを引いた不二子が自分から離れるのを見て、次元が腕を下ろした。
 負けたことでルパンから文句が降ってくるかとも思ったがその気配はない。一つ小さい溜息を落として次元は通信機に手を伸ばした。
 敗者はその場に残るか、立ち去るかを選べる。
 当然次元は立ち去るつもりでいた。だがそれはこの場からの話だ。街から出て行く気はまだない。
「ルパン。もういいだろ。はどの方角にいる?」
 はまだこの街にいる。
 勝ち残っていても、負けているのだとしても、この街に。
 早く連れ出さなければという思いが次元を支配する。
「あら、本当に来てるの?」
「手前ぇは黙ってろ」
 少し離れたところから入った茶々に次元は声の主をにらみつけた。
「心配しすぎなのよ」
 それでも続く声を完全に無視して通信機から聞こえてくるだろう声に集中する。そんな次元の様子を見ていた不二子が軽く肩をすくめてそっぽを向いた。
 しばらく待ったがルパンの声は返って来ない。
「ルパン! 聞こえてんのか!?」
『せっかちだねぇ、次元ちゃんは』
 笑い声を含んですぐに帰ってきた声にわざとやってんじゃないかと次元が悪態をつき、ルパンはまた笑った。
「方角は。まさか見失ったとか言わねぇだろうな」
『いんや? そこから南西の方角、3キロ以内ってところか?』
「南西だな」
 聞くなり次元は走り出した。通信はそのままにしている。ルパンしかの発信機の電波を受信出来ない以上、ルパンからもらう情報しか次元には手がかりがない。
『まぁ頑張りな。しばらく話しかけるなよ?』
 突然言われた一言に次元の足が止まる。
「はぁ!? いきなり何を……!」
 を探す手がかりはそれしかない。絶たれて見つけ出せる確証はないのだ。
『しょーがねぇだっろぉ? お前さんが負けちまったんだから別の手でお宝手に入れにゃいけねぇんだよ』
 責める口調ではなかったが、それでも次元が言う言葉は一つだった。
「……すまねぇ」
 言わずにはいられなかった。
 静かに言った言葉に笑い声が返ってくる。
『行って来な』
 ただそれだけを言い残して、通信は切れた。小さな通信機を一度強く握りしめて、次元がまた走り出す。
……っ」
 ゲームが始まって何時間かが経過した頃、一瞬だけ見たらしき女の横顔が頭から離れない。
 次元が見たのは変装した不二子であったかもしれない。だが、ルパンを問い詰めて得られたのは次元がにそうとは報せずに渡した発信機の電波、がゲームの開催地である街の敷地内から送られて来ているという結果だった。
 をこのゲームに関わらせたくないと思いながらも一旦ルパンから引き受けたことを投げ出すことも出来ず今まで何も出来ないままでいた。
 だが、もうそれも気にすることはない。
 ルパンは行けと言った。
 手伝えとは言わず、ただ行って来いと。
 人気のない街を、一つのことだけを考えて次元は走り抜ける。
 ただ、無事でいてくれ、と。





「さぁて、と」
 通信を切ったルパンはテーブルの上に乗ったモニターに目を移す。
 そこには男と女が映っていた。
 会場内は先ほどから怒号に包まれていた。理由は簡単。モニターに移っているこの二人がこれっぽっちも動く気配を見せないからだ。
 彼らが会ってから既に10数分が過ぎている。女は男に向けて構えたままだし、男は右手に銃を握ったまま腕を上げようともしない。
 賭けに負けせめて派手で悪趣味な試合を楽しもうとしている奴らからすれば苛立たしいことこの上ないだろう。声高に野次を飛ばし、さっさと殺せと双方に向かって叫ぶ。
「不二子の相手はどっちだ?」
 薄い笑みを見せながらルパンが懐に手を入れてジタンを一本取り出す。
 双方ともに中々の腕を持っている。決勝戦が始まるのはもう少し先かもしれない、などと考えながらルパンは通信機のスイッチを入れた。次元の持っているものではなく、もう一方の方にスイッチを切り替えた。
「どうよ、そっちは」
 すぐに落ち着いた声が返ってくる。
『準備は出来ている。後は決行するだけだ』
「ん〜じゃぁ待機しててくれよ。もうちょっと時間かかりそうだからよ」
 咥えたジタンに火を点けながらもモニターに目を向ける。
 女も男も双方共に動きはない。
『了解した。――次元は?』
「あっさり負けちまったよ。まぁ、不二子の方が一歩上手ってぇか……アイツ、に惚れすぎなんだよ、ったく」
 悪態をつきながらもその声はどこか楽しそうだった。
 通信機の向こうで軽い笑い声がする。
『違いない』
「まぁ悪くはねぇさ。アイツのあんな顔見られるならな」
 喉の奥で笑う声が、次の瞬間その温度を一気に落とした。
「始まるな」
 モニターの小さな画面の中で女が地を蹴った。





 次元は3キロもの道のりを自分の足だけで走るつもりもなかった。南西へと向かいながら何か使えるものはないかと次元は周囲に目をこらす。
 その途中で人影を見つけ、思わず駆け寄った。
 狭い広場に二人の人間がいる。
 一人は地に這い蹲り、右肩を押さえている。怪我をしているのかその足元に血溜まりが出来ている。女だ、と敷かれたレンガの上に広がる長い黒髪と細い体を見て直感する。
 かもしれない、と駆け寄ろうとした次元の耳に女の絶叫が届いた。
「何故殺さない! 殺せ!!」
 女の傍らに立つ男に向けられた声で、次元は女がでないと確信する。
 は声を作ることが出来ない。
 女の声はの声とは全く似ても似つかぬ声だった。
 小さく安堵の溜息を落とした次元はその場から離れようと広場に背を向ける。
 広場を囲むように立てられた家の屋根の上に備え付けられたスピーカーから音声が流れた。
『勝者は次の試合へ。誘導します――』
 立って女を見下ろしていた男が顔を上げて、次元を追うような格好で広場を後にする。
「殺せ……っ!」
 敗者の女の声が静かすぎる街に響き渡っていた。





 それまでもそうしていたように別の場所へと誘導されるとばかり思っていた不二子は、いつまでも誘導の声が来ないことに少々苛立ちはじめていた。
「全くもう、いつまで待たせるのよ」
 そう言った直後、不二子の耳にかすかな足音が聞こえてきた。
 不二子は腕を組んだ格好をそのまま崩さず足音の聞こえる方向へと体を向ける。次元に抜いてみせたサブマシンガンはまだ手に握られたままだった。
 先ほどは不二子が歩いてきた道を、決勝戦の相手らしい男がやって来る。男が細身の体にまとっているのがジーパンに無地のTシャツというラフな格好であるのを見た不二子が軽く笑った。
「似合わないわね、こういう場所には」
 不二子のその言葉が聞こえていたのか、男はわずかに口を持ち上げた。近づきながら応える。
「そうですか?」
 人懐こそうな笑みを浮かべた男に、不二子もまた笑みを浮かべて返した。





 優勝者が決まったということを街に備え付けられたスピーカーが報せたのは、次元が広場から離れて何分もしない内のことだった。
 続けてスピーカーは生き残っている者全員に警告を出す。街から退去するように、と。
 悪趣味なイベントがどうなったかなどに次元は興味がない。
 路地裏に立てかけられるように置いてあったバイクを見つけ出していた次元はルパンの言った言葉を信じて街を走り回っていた。
 走ってはバイクを止め、名前を呼ぶ。
!」
 名を呼んでも返ってくる声はなかった。
 代わりにスピーカーが警告を発し続けているが次元はそれを無視してバイクを走らせる。
! どこにいる!」
 優勝者が決まったというなら、先ほど見た男と不二子が闘ってどちらかが勝ったということだ。は優勝者ではない、と次元は結論づける。
 敗者はその場に残るか立ち去るかを選ぶことが出来る。但し、それは自分の力で動ける場合だ。
 このゲームの最中に何度も見た光景が頭をよぎる。
 街角に転がっているもう動かぬ者の体を、どこからかやってきた男たちがトラックに載せてどこかへ運んでいくのを、何度も次元は見た。
 もあんな風に運ばれたのかもしれない、と思ってしまうのを止められない。
「返事しろ! !」
 返る声のない叫びが、空虚な街にいくつも響いた。
「……っ」
 叫ぶ声に返事がないことで次元の不安は増大される。
 信じたくない思いがじわじわと次元の心を侵して行った。
 死んでしまったのか、と。
「お前まで……っ」
 また失ってしまったのか、と。
……っ!!」
 次元の不安を止めることの出来るたった一人の声は、いつまで経っても次元の耳に届かなかった。




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