サメダ 皆さん、こんにちは。お聞きの放送はFM闘祭です。
ナビゲーターはわたくしサメダと、このインタビューの企画者・・・
池本 剛
(以下 池本)
池本剛でお送りします。どうぞよろしく。
サメダ 本日はスペシャルゲストをお迎えしてのロングインタビュー。
そのスペシャルゲストとは・・・旧ルパンの作画監督としても有名なアニメーター、
大塚康生さんです!
こういったファンサイトでのインタビューを引き受けてくださるのは後にも先にも今回限りということで、どんなお話を聞かせていただけるのか、とても楽しみです。

大塚さん、本日は本当にありがとうございます、どうぞよろしくお願い致します。

大塚 康生
(以下 大塚)
よろしくお願いします。

 

サメダ まず始めに大塚さんの簡単な略歴をご紹介します。
1931年島根県生まれ。「ルパン」においては旧ル・作画監督、劇場版・作画監督などを担当。アニメルパンのスタンダードを確立。代表作「太陽の王子 ホルスの大冒険」「パンダコパンダ」「未来少年コナン」「じゃりン子チエ」など。現在は後進育成に努めるかたわら、軍用車両研究をライフワークとしておられます。
また最近にも記憶に新しい大塚さんの関わったルパン作品などもあり、そのあたりも含めていろいろとお聞きしていきたいと思っております。

それでは、参りましょう(^^)

池本 大塚さんは「自分が担当したのはルパンのごく一部にすぎない」という事をよく口にされますが、それでもパイロットフィルム(※1)に始まり、旧ルパン(※2)新ルパン(※3)テレコム(※4)作画回、マモー編(※5)(…は名義だけ(?)にせよ)カリ城(※6)風魔(※7)にも関わっていらっしゃるわけで、僕にとってのアニメルパンとは風魔で終わっていますから、実際のところはPARTIII(※8)関連を除いた作品群での大塚康生濃度があまりにも高くて、アニメルパンを考えるときに「大塚康生」という要素を抜きには考えられないというのが基本姿勢なんです。

大塚さん自身にとって「これが大塚ルパンである」あるいは「ルパンにおいてのベストワーク」というのは特にどの作品になるんでしょうか。

大塚 ベストワークっていうのがあるのかなぁ…ま、あるとすれば他人が決めればいい、と思っています。「自分が納得できたかどうか」を物差しにすれば、ベンツを真っ二つにする(※9)とか、卵型のタイムマシン(※10)など着想に飛躍のあるエピソードでしょうか。どちらかというとパイカルなどの暗い話(※11)はあまり好きではありませんでした。

本当のところは「そんなぁ!」といったバカバカしい、漫画的な展開が好きだし、得意です。僕達は画面上で大ウソをつきます。そのウソが存在感や臨場感をもたせることが「技術」だと考えるわけで、エンターテインメントでは架空のありもしない話を「あるがごとくみせる」のですから、例えば、ニューヨークの自由の女神をヘリコプターで吊り上げて盗み出すとすれば、そんな強力、巨大なヘリは実際にはないわけですね。どうしても出すとなれば必死で「あるかもしれない新しいヘリ」を考え出すか、全く別のアイディアを捻出するしかありません。僕の期待する話も似たような大ウソですが、ウソが許容できるものと、そうでないものがあるんです。金の延べ棒を川船程度の平底船にピラミッドのように積み上げて下水路で運ぶ、といったアイディアで書かれたシナリオは、書いた本人の想像力を疑いますが、アニメのライターはよく「絵にすればなんでも出来るはずだ」と思うらしく、じつはそればっかり、といった有り様で、奇抜なアイディアだったとしても、ライターに実際に絵になった時のことを考えてくれ、というのは無理なのです。となると、そのまま出したのでは「下手なウソ」になってしまいます。

観客は何気なく見過ごすでしょうが、描く方としては納得出来ないわけで、それでいてクソリアリズムも嫌いですから、多くのシナリオは非常に不満でした。真面目にやっているようで、不真面目。と思ったら意外に真面目といった展開も大好きで、そういうものには喜んで手を動かしました。

池本 アニメーターの重要な側面として、役者や演出家的な素養が必要であるという事ですね。作品世界に説得力を持たせつつ、気持ちよく飛躍させる事が肝腎であると。優れた作品を作るには現場の人間が越権行為的に職分を飛び越えていく必要があるという事でもあるのでしょうか。完全分業制自体に無理があると。
大塚 そうなのですが、テレビシリーズは組織的な分業制でないと成立しませんからねぇ…それでもシナリオが出来る部門と、それを絵にする部門の間に対話や討議がないというのはアニメーションでは不毛といわざるを得ません。面白いことを思い付く人は何処にでもいますが、それが生かされてないのが現状です。『クレヨンしんちゃん』(※12)なんか見ていると企画部門に演出や絵描きに大胆な遊びを許している気風があるように思えます。テレビの初期には会社も局も「現場に丸投げ」でしたから僕達は必死で考え抜きましたが、今では皆さんが想像している以上に絵心が分かってない人達が牛耳っているのです。利権が複雑にからみ合って来たことが、その原因でしょうが、一般論としてはあっと言う間にパターン化してしまうのも大量生産、大量消費の時代では仕方がないのかもしれません。
池本 劇場版『しんちゃん』の作画やコンテを担当した湯浅政明(※13)さんは様々なアイデアスケッチを提出したようですね。それを元にブレーンストーミングもあったようで。『しんちゃん』には東映動画(※14)の古き佳きまんが映画の匂いがしますが、その理由のひとつはその辺にあるのかもしれないと思います。
サメダ そのような現場での葛藤もあるのですね。それにアニメーターもクリエーターですから、アイデアがあっても関わる作品に何も繋がらないのは辛いことと思います。

さてここでお葉書を一枚。現場のお仕事についてこんな質問をいただいています。

「作画監督」と「監修」の(大塚さんがされた)仕事の違いを。マモー編には「監修」として大塚さんの名前がありますが、具体的にどのようなお仕事をしたのでしょう。

関東在住 ラジオネーム・Haniwaさん

大塚 それははっきりしています「作画監督」というのは地獄のようなきつい仕事で、出来るだけ多く動きやポーズ、顔などを修正する仕事ですが「監修」は何もしなくて「監修」。出来るだけ手伝って絵を沢山描いても「監修」で、前者は『マモー』後者は『風魔』がいい例です。
サメダ 『マモー』ではレイアウト(芝山さん)(※15)というのもありましたね。マモーはワンシーンごととても印象深い、目に焼きつく場面(特に砂漠をさすらうくだり)が多いのですがああいった構図を考えるのがレイアウトと考えても宜しいのでしょうか?旧ルでは『五ヱ門登場』の回、素性がばれて玄関口から逃げ出すルパンと次元と屏風を背に背後に立つ五ヱ門のカット割が正面背面そしてあおりで写されています。不思議な緊張感のあるあおりのシーンが変わったレイアウトだなぁと思ったのですが、旧ルではこういった構図はどなたが決められていたのでしょう?
大塚 アニメーションの画面の構図はほとんどの場合、コンテの段階で決められます。ただし構図が曖昧なものも沢山あって、出崎さん(※16)のコンテなどは口で説明されないとよくわからない絵だったりしますから、原画が背景原図(※17)として起こす段階で決まってゆくことが多いようです。宮崎さん(※18)や最近の芝山さんのコンテなどは特別で、そのまま拡大コピーして使う人もあるくらい最終画面に近い仕上がりです。あおりのカットは青木さん(※19)の好みで、コンテではそうなってなくてもあおりにしていました。彼は一寸くせのある構図が上手ですね。
池本 曖昧なコンテだと演出家の意図を汲んだり、あるいは自分で何かを盛っていったりといった苦労が必要で…それが同時に面白みでもあるんでしょうが、逆に宮崎さんタイプの演出の場合は天才演出家の緻密なビジョンがまずあるわけで、その意味ではそこに縛られてしまうジレンマのような物もあったりして一長一短なのかもしれないなぁと感じます。『コナン』(※20)においてのダイス(※21)の演技は大塚さんに丸投げだったそうですが(笑)
サメダ 有名なお話ですよね。そしてラナ(※22)は絶対触らせてくれなかったこともあわせて(笑)
大塚 丸投げではなかったのですが、大胆に任せてくれていました。作画監督としてラナもほとんど手を入れていましたが、肝心のシーンの表情については宮崎さんが克明に直しています。
サメダ 作監したものをさらに直すのですね。宮崎さんのこだわりを感じるエピソードですね。
次に旧ルについてももう少し突っ込んで聞いていきたいと思います。
池本 原作ルパンやアニメルパンをモチーフにファンアートを描いたり、あるいは自分なりに原作を咀嚼しながらルパンを描いたりしたときに、数あるアニメルパン像の中で特に大塚ルパンと青木ルパンが際立って原作のエッセンスを上手く消化してる事に気付かされるんです。パイロットフィルムの芝山ルパンがあった上で旧ルパンを手掛けた際、原作の画風をアニメに移し変える過程でどの部分に特にこだわったというのはありますでしょうか。
大塚 こだわり方はかなりの個人差があります。僕の好みだけではなくて、芝山さん的解釈、青木さん的解釈、が入れ代わり立ち代わり出て来ているような感じですね。夫々が雑居してるわけですが、パイロットでは芝山、『マモー』キャラクターについては椛島さん(※23)デザイン、レイアウトは芝山、青木が支配的です。
旧の前半は僕で、後半は宮崎…みたいな感じ、といっていいような気がしています。
ストーリーについていうと、雑誌漫画原作をアニメーションにする場合は、原則として原作通りに「動かす」ことが求められます。しかし、原作の構成上そのままでは使えないものも多いのです。ルパンでも
『キャンパス・シリーズ』(※24)は全くはまりませんでしたね。ライターが違えばお話の方向が変わるように、別のアーティストが描くとなれば、そう器用に原作そっくりとは行きません。どうしてもその人の美意識や好みが入って来て原作から離れてゆきます。誰もくりかえし原作を模写して似せようとしますが、同じ顔でもいろいろな方向、感情で描いてみると「紙のうえに描かれた顔と異なった」情緒が出て来るのは避けることが出来ないのです。私の場合、やはり表情の変化、手足をポキポキさせて描くように心掛けたと記憶しています。原作の大事な特徴でもあったからです。青木さんの場合はそれを少し発展させたように感じていますが、彼の癖(絵が斜に歪む)は旧ルパンでは私が修正していましたが、のち修正する人がいなくてモロに出て来たようです。でもその歪みが味を出していますから、あれはあれでいいのだと思います。
サメダ 私事で恐縮ですが、最初アニメーションのルパンから出会ったものですから、原作を読んだ時度肝を抜いてしまったんです。それは新ル→旧ル→原作と見ていったせいもあると思うのですが、まずそのキャラデザインのギャップに大変驚きました。いままで自分が見てきた『ドラえもん』(※25)しかり『YAWARA!』(※26)しかり『シティーハンター』(※27)しかりといったアニメでは原作コミックに比較的忠実なものが多かったからです。ルパンはどうしてこんなに違うんだろうと原作を手にしてしばし悩みました(笑)
これはルパンという素材ならではの現象なのかと思ったのですが、シリーズごと作品ごとのキャラクターデザインがルパンのように作家それぞれの個性(美意識)がこんなにも強く出るアニメは珍しいことではないのでしょうか?
大塚 一つには時代がそうさせたのでは――と感じています。いまではマンガ原作に忠実でないと局やスポンサーからすぐにクレームがでます。でも肝心のポーズなどは審美眼がなくて、彼等がこだわるのは(視聴者も?)顔、顔だけです。夫々のルパンについては、皆さんが好きだから、よく見て頂いているからじゃないでしょうか。作る側、例えばほとんどのプロデューサーは「どれも同じじゃないか、何を騒いでるんだ」と言ってますし、大多数の視聴者はそこまで厳密に見てないのではないか、と思います。

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