灼熱の太陽は、大地と緑を焦がした。
 夕焼けは血のように赤く、美しかった。
 その年、その夏。
 焼け付くような熱さと硝煙の臭いだけが、人々の記憶に残った――。


L’OISEAU BLESSE 〜NAGEKIDORI〜



 中南米、ドルミネア。
 何の産業も持たなかったこの国では、十数年前、金の鉱脈が発見されたことから途切れることなく内戦が続いていた。
 直後の独立以来、数えて五人目に当たるバハムート大統領は自ら政府軍を率い、類稀なる戦略で着々と地盤を固めていった。
 が、反政府軍もまた優秀な兵を雇い、それに対して徹底抗戦を続けていた。


 辺りの細い木を薙ぎ倒し、爆音を立てながらヘリが着陸した。
 ギャランコは手巻きの煙草を燻らせながら目を細め、下ろされる食料と僅かな弾薬、そして最後に出てきた若者を見つめた。
 若者は戸惑ったように辺りを見回していた。薄い金髪にガラス玉のような碧眼、遠目でも分かる彫りの深い顔立ちだ。それでいてどこか甘ったれたように見えるのは年齢のせいだろうか。届いた資料では確か二十歳になったばかりとあった。
 やがて彼は搭乗員から教えられ、ようやくギャランコに気付いたようだった。慌てて駆け寄ってくると彼の前で立ち止まり、どさりと荷物を下ろした。拍子に、胸元の認識票――ドッグ・タグがちゃらりと音を立てる。それから戦闘帽の歪みを直すと、習ってきたそのままに直立不動の姿勢を取り、挙手の敬礼をした。
「申告します! 認識番号G二八三○五四、ベルナンド・オースト上等兵、ただ今到着いたしました!」
 ギャランコはその姿勢の正しさに、苦笑を洩らさざるを得なかった。
「まあ、そうしゃちこ張るな。楽にしな」
「はい!」
 楽にしろと言われて休めの姿勢を取る。どこまでも折り目正しい男である。
 ギャランコはその太い指で首筋を掻きながら、
「ここは正規軍じゃねぇんだ。ま、便宜上階級はついてるが、俺のことも名前か、さもなきゃ『隊長』で結構だ」
「は、はい」
 ついてこいと言われ、荷物を背負い直すと、足早に後を追う。
 十分ほども歩くと、やがて森を抜けて開けた場所に出た。あちこちに立てられた天幕は、ここがゲリラの前線駐屯地であることを示している。政府軍はこの場所を知りつつも、決定的な戦力を欠いているため、手を出せないでいた。仮にここを殲滅させても、消耗しきったところで他部隊に叩かれるのは目に見えていた。
 ギャランコが向かったのは、一際大きな天幕だった。入り口に近寄ると、中から一定の間隔を置いて銃声が聞こえてきた。
「入ってもいいか!?」
と、ギャランコは声をかけた。
 ややあって、許可の返事があった。
 ギャランコは天幕の扉を開き、ポールに引っ掛けると中に入っていった。外からの明かりが注ぎ込まれる。
「ここは射撃練習場なのさ。――夜間用のな」
 百メートルほど先の的が、うっすらと見えた。中央に何十発も打ち込まれた痕があった。
「そいつの調子はどうだ?」
「悪かねェ」
 ギャランコの足元に、男が座り込んでいた。長い銃を抱えている。
「本番で使ってみなきゃ詳しいことは分からんが、こいつが政府軍に渡れば、俺たちは全滅かもな」
「だから奪うのさ」
 ステアーAUG。銃身が長く一見おもちゃのようなスタイルだが、命中精度は非常に高い。
「新入りを紹介する、外に出な」
 男はAUGを肩に担ぐと、ギャランコの後に続いた。刺すような光に、思わず目を細める。



「新入り? こんなときにか?」
 どこか非難するような口調に聞こえてベルナンドは一瞬口を尖らせたが、中の的が目に入った瞬間、文句は感嘆の言葉に取って代わられた。
「あ、あれを狙ってたんですか?」
 男は僅かに顔をしかめた。
「狙ってたんじゃねェ、撃ち抜いたんだ」
 言い回しの違いが分からず、ベルナンドは首を傾げた、
 背はベルナンドより二、三センチ高いだろう。ギャランコよりずっと細いが、伸ばしていた袖を折り曲げると、鍛え抜かれた浅黒い腕が覗いた。こけた頬と顎を覆う無精髭は東洋人離れした風貌だが、髪と目の色は間違いなく黄色人種のそれだった。
「こんなときだからこそだ。この前の作戦で、二名欠員が出たろう。その代わりだ」
「こんなガキをか?」
「ガキ――!?」
 怒鳴りかけたベルナンドを、ギャランコが遮った。
「いないよか、マシだ。それにお前がここに来たときと、年は然程変わらねぇと思うが?」
 男は額を覆っていたバンダナを無造作に外した。とたん、ばさりと前髪が落ちてきて、舌打ちしながらかき上げると締め直した。
「いい加減、切れよ。俺がやってやろうか?」
 ギャランコが苦笑混じりに提案するのを、男はバンダナの下からじろりと睨めつけた。
「あんたに任せると、丸刈りにされかねん」
「ここじゃあ、それが一番かもしれねぇぜ? 髪を洗うのも楽だ」
「髪は頭を守るのにも役立ってるんだ。丸刈りも善し悪しだ」
と、男はベルナンドのスポーツ刈りの頭を見た。「まあ、この程度ならいいだろうが、俺は御免だ」
 褒められたのか貶されたのか判断がつかず、ベルナンドは取り合えず何も言わないでおいた。しかし口はへの字に曲がっている。
「ベルナンド・オーストだ。ベルナンド、こいつがお前の上官だ」
 男はギョッとしたようにベルナンドを見た。
「ちょっと待て! 俺の下につけるのか!?」
「お前にも部下が必要だろう」
 ケッ、と男は吐き出した。「一人の方が気楽でいい」
「命令だぜ」
 ギャランコの言葉に、男は再び鋭い視線を送ったが、今度は何も言わずに踵を返し、立ち並ぶ天幕の方へ去ってしまった。
 苦笑しながら、ギャランコは言った。
「悪い奴じゃないんだが、どうにも人付き合いが下手でな。だが、腕はいい。そいつは折り紙付きだ」
「自分は、あの人の下につくのでしょうか?」
「不満か?」
 いえ、とベルナンドはかぶりを振った。
「あの人の名前は?」
 既に天幕の中に消えた男の姿を見つめ、ギャランコは答えた。
「次元。――ダイスケ・ジゲンだ」


 三日後に行われる作戦にいきなり実戦投入されると聞かされ、覚悟はしていたものの、ベルナンドは緊張と恐怖に全身が震えるのを止めることが出来なかった。これを武者震いと言ってのけるほどの神経も持ち合わせていなかった。
 作戦は、政府軍に売られる大量のステアーAUGを奪取するというものだった。次元が試射していたのはサンプルとして持ち込まれた品を、内部の人間が横流しした品だ。
 次元の言うように、これらの品が政府軍に渡れば、もはや反政府軍である彼らの勝ち目は薄くなる。そして運び込まれる先は、難攻不落と呼ばれるトプチカ要塞で、ギャランコは武器を奪うついでにそのままそこを叩く計画を立てたのだった。
「こっちの物資ももう後がねぇ」
 ギャランコは半ば泣き言とも言える事実を口にした。
「だが、トプチカを落とせば話は別だ。それでこの内乱は収まる」
 今回はな、とは誰も言わなかった。
 反政府軍のトップは、最初の大統領イザビの息子だった。父親同様人望があったが、仮に彼が六人目になったとして、その座を奪う人間がいないとは限らなかった。だがそれは、ギャランコたちには関わりのないことだ。
 傭兵にも種類がある。自分の腕だけを頼りに戦場を渡り歩くフリーランサーと、組織に所属して命ぜられるままに戦場に赴く、いわば派遣社員のような兵士である。ギャランコたちは後者に当たる。雇う側にしてみれば、無論フリーの方が安くつくがその分裏切られる可能性も考慮せねばならず、イザビの息子はそれよりも確実な戦力を採ったのだった。
 その選択はおそらく正しかった。
 ギャランコは戦場で生まれ育った男だ。彼の生まれた国ではドルミネアと同じく内戦が長く続き、噂では砲弾で吹き飛ばされた母親から産声を上げたらしい。ギャランコはゲリラとして育ち、内乱の終結後は戦争請負人――即ち傭兵として、世界中を渡り歩いた。彼の指揮する作戦は悉く勝利を収め、事実劣勢にある反政府軍がこれまで持ち堪えてきたのも、ギャランコあればこそとも言えた。
 ギャランコに従えば必ず勝利する――そんな確信ゆえか、また彼の陽気な性格が伝染しているのか、作戦の三日前だというのに兵たちは呑気なものだった。士気が低下するよりはましかもしれないが、ベルナンドには到底理解し難い状況だった。――いきなり酒盛りが始まるなど。
「おめぇの歓迎会さ」
と、ギャランコはその太い腕をベルナンドの首に回した。傍からは、ぽきりとへし折れてしまいそうに思えた。
 ベルナンドは引きつった笑みを浮かべて、宴会の輪から外れて独り飲み続ける次元に助けを求めようとしたが、彼は一度も視線を合わせようとしなかった。
「おめえは何で、傭兵になんぞなったんだ?」
 酒がいい加減に回ってきたところで、誰かが尋ねた。「とてもじゃねえが、脛に傷持つようには見えねえがな?」
「ここじゃあ、過去の詮索はご法度だぜ」
 ギャランコがたしなめた。人種、国籍、経歴不問。頼れるのは己の腕のみというこの世界において、その手の質問はタブーとされていた。
 しかし、当のベルナンドが暗黙のルールを知らなかった。
「強くなりたかったんです」
 ベルナンドがぽつんと告げた瞬間、その場の空気が変わった。
 ベルナンドの家は、元来軍人を多く輩出していた。それが彼の父の代になって商人へと鞍替えした。しかしベルナンドは、幼い頃より祖父の武勇伝を聞かされて育った。上の兄二人は父の要望どおり手堅い職業に就いたが、ベルナンドだけは軍人になりたがった。そこで遂に大学を中退し、家を飛び出して傭兵へと転身したのである。
 そんな話を照れ臭そうにベルナンドは語った。
「おめえ、強くなりたくて傭兵になったって言うのか? 銃を持てば強くなれると?」
 男が重ねて問うた。
「そうですが――?」
 訝しげに頷いたとたん、その場にどっと笑いが起こった。誰も彼もが酒をこぼさぬよう、必死だった。
「な、何がおかしいんですか!?」
 隊長であるギャランコまでが腹を抱えている。
「い、いやいや、すまねぇ――」
 ギャランコは残った酒を飲み干した。途中でまた笑いそうになったが、何とか堪え切った。
「――銃を持てば強くなれるなんてぇな、ガキか日本人の考えるこったってな」
 意味が分からず――しかし、貶されたのは間違いないようだったので、ベルナンドは顔をしかめた。
「銃をうまく使えるようになったからって、強くなれるわけじゃねぇ。無論、こんな国じゃあ銃ぐらい扱えなけりゃ命が幾つあっても足りねぇよ。年は関係ねぇ。だが――強くなるためじゃねぇ、敵を殺すために銃を取るんだ」
「そんなこと――」
 言われずとも、分かっているつもりだった。
「銃を手にすりゃ強くなれるなんてな、ガキの考えることさ。――だが実際、それで強くなっちまった奴もいるんだから、一概に否定もできねぇがな」
 くい、とギャランコは宴席の端に座っていた次元に首をしゃくった。
 次元はちらりとこちらを見たが、ふンと鼻を鳴らしただけで、話に加わろうとはしなかった。
「あいつがここに来たとき、おめぇと同じことを言ったのさ。『強くなるためにここに来た』ってな。俺らは全員大笑いしたもんだが、今じゃ部隊で一、二を争うほどだ。おめぇにその気があるなら、そして運があるなら、きっと強くなれるだろうぜ」
 ベルナンドは戸惑ったように、彼の上官を見つめた。


 トプチカ要塞は、かつてこの国を支配していた王族が城として、宮殿として使用していた場所だ。近代になって先進国が植民地化した折に、そこにあった金銀財宝の一切は持ち去られ、守りに堅固なことからそのまま彼らの住居となった。その後、独立の際にイザビ初代大統領が要塞として使用したのである。
 従って、イザビの息子はトプチカ周囲の地形については誰よりも詳しいはずだった。ギャランコが勝負に出たのは、それを信じたからでもある。
「輸送隊は、明日の夜この道を通る」
 作戦前日の昼間、何度も折り直して破れかかった地図を指差しながら、ギャランコが言った。
「こいつを強襲する。問題は、トプチカからの増援部隊だ。こいつを何とかする必要がある。――次元」
 最後に呼ばれて、次元は顔を上げた。
「行ってくれるか?」
「拒否権があるのかい?」
「ねぇな」
「じゃ、訊くなよ」
 次元は嘆息した。「だが、あのガキを連れて行くのは御免だぜ」
「そう言うなよ。あれでなかなか、養成所の成績はよかったようだぜ?」
「だが、初陣だろう? 何だってそんな素人同然の奴が……」
「どこも人材不足なのさ」
 ギャランコは肩を竦めた。
「中東の、ほれおめぇが三年前までいたレスリアでまた内乱がおっ始まってな」
 さすがに次元の顔色が変わった。
 レスリアは中東にある、オアシスの美しい小国だった。数年前、王位継承権の問題から戦争が始まり、次元が初めて立った戦場がそこだった。そのときは政府軍に属したが、配属されて一年足らずで戦いは終結し、任期が残っていた次元はそのままこのドルミネアへ異動となったのだ。
「政府軍は金払いもいい。こっちよりよっぽど儲かるからな、みんなあっちに送り込まれちまったのさ」
 煙草に火をつけ、ギャランコは苦く笑う。次元も一本、受け取った。
「いい兵士はどこの国でも欲しがる。精々死なないよう、おめぇが鍛えてやんな」
 次元は不満そうに、銜えた煙草を立てた。面倒見のいい方ではあるが、戦場で他人を構っていられるほど余裕があるわけもない。かといって、無駄に死なせたくはなかった。それが自分の甘さであることは、重々承知していたが。
「――もうすぐ任期が明けるな」
 銘銘の仕事を了解し、他の仲間がいなくなった後、ギャランコがぽつりと言った。
「ああ、――後、一月ってところか」
 突然振られた話題に戸惑いながらも、次元は頭の中にカレンダーを思い浮かべて答えた。
 空軍の任期は三年だが、陸軍は二年と決まっていた。その日を指折り待ち侘びる者もあったが、次元はつい忘れがちであった。
「どうするんだ?」
「さあな……どうするか」
 最初の満了時には配属されたばかりで、この戦争の行く末がどうなるか見当もつかなかった。故に更新した。だが今度は、間違いなく数ヶ月で内乱は終結する。勝つか負けるかはそのときに任期が残っていれば、別の戦場に駆り出されるだろう。――またレスリアかもしれない。
 ギャランコは逡巡した後に、言った。
「おめぇは、傭兵にゃ向いてねぇよ」
 次元は唖然として、ギャランコを見つめた。灰が地面に落ちたのも、気付かぬほどであった。
 奇しくもギャランコ自身が述べたように、今や次元大介の実力は部隊でも一、二を争うほどであった。次元が参加した作戦の成功率は九十五パーセントを超えたし、その難度にも関わらず彼の生還は、無論百パーセントであったのだ。
「言い直そうか。おめぇは兵士としちゃ一級品だ、だが――軍人には向いてねぇ」
 次元はバンダナの下で眉を寄せた。
「傭兵は、そりゃあ正規軍に比べりゃいい加減で適当だ。だが、それでも軍隊だ。聞きたくもねぇ命令も聞かなきゃならねぇ。気に食わねぇ上官でも、頭を下げなきゃならねぇ。おめぇにそれが出来るか?」
 レスリアでの次元の上官は、いけ好かない男であった。アメリカ陸軍の出身だと言っていたが、現場を知らずに無茶な命令ばかり下した。ぺーぺーの新米だった次元は、僅か一年で四度独房に放り込まれた。
 それに比べ、ギャランコは理想的な上官であった。部下の気持ちを汲み、たとえ無茶苦茶な作戦であってもその必要性を懇々と説き、自ら先頭に立った。故に誰もが彼を尊敬し、ついていった。だがそれも、ギャランコ自身が正規の軍人ではないからだろう。次の戦場で、そんな相手に巡り会えるとは限らない。
「おめぇには目的があるんだろう? 次元」
 そんなことを話したこともあった。
「いつまでもこんなところで燻ってるもんじゃねぇぜ?」
 次元には目的があった。そのために、この道を選んだ。
 フッ、と次元は微笑を浮かべた。
「そうだな――。この作戦から生きて帰れたら、そのときは真剣に考えるとしよう」
「おめぇは帰ってくるさ。――必ずな」
 ギャランコは確信を持って、言った。





 
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